長濱ねるの卒業は何を意味するのか

長濱ねるが卒業することになった。いろいろと断片的な思いがあふれるばかりで、一向にまとまらないのだけれど、まとまらないならまとまらないなりに記録に残しておこうと思った(筆者注:この記事は卒業発表当初の2019年3月に下書きし、そのまま放置していたものを、2019年6月に公開した)。

長濱ねるの卒業は、どうしても受け入れがたい部分がある。このブログではまだ書いたことがなかったが私は欅坂46では一応今泉推しだった。

その今泉の卒業は悲しかったし、残念だったけど、休業期間も長かったし、「やっぱり」「やっと」という思いも強かった。志田愛佳の卒業に対しても同様である。米谷奈々未の卒業も驚いたけど、学業を頑張ってほしいという思いが強かった。

私は長濱ねるへの第一印象は良くなかった。欅って、書けない?の初登場回、まとめブログなどでは「かわいい」という声が多かった。実際、欅坂屈指の人気メンバーになるのに時間はかからなかった。

私は頭の良い女の子が好きだ。これは意識的・無意識的を問わずそうだ。乃木坂46を初めて知ったとき、興味を持ったメンバーは橋本奈々未、松村沙友理、秋元真夏だったが、この三人は乃木坂一期生屈指の秀才メンバーだった。そうであることを知ったのはもちろん興味を持ったあとである。

ひらがなけやき(現・日向坂46)でも、最初にかわいいと思ったのは影山優佳だった。だから、なんで長濱ねるに興味が持てないのか、自分でも不思議だった。

その後、「また会ってください」という長濱ねるのソロ曲が好きになった。「100年待てば」も割と好きだった。でも、長濱ねる自体が好き!という感情は持っていなかった。

いつから長濱ねるを肯定的に見るようになったのだろう。記憶にある限りでは夏の「ねるねちけいオンライン」は好意的に見た気がする。この頃から気になっていた。たまたま所用で長崎に行くことになったときには、長濱ねるによる長崎紹介系の記事を漁った。

(追記 多分長濱ねるを好意的に見るようになったのは突然の漢字専任のあたりだろうか。)

そんな長濱ねるについて印象に残っているシーンがある。昨年9月に放送された「欅って、書けない?」の長沢菜々香とのペアロケのワンシーンである。

バンに乗り込むとき、長沢に対して「先に乗ってください」って言っていた。対談中はタメ口だったけど普段は敬語なんだ。

長濱ねるは自分を漢字欅一期生とは思っていなかった。そして漢字欅に二期生が新たに入った。

ひらがなけやきは長濱ねるとともに生まれた。でも、長濱ねるは一期生とは呼ばれなかった。そして、ひらがなけやきはなくなり、日向坂になった。

長濱ねるとは、なんなのか。
欅坂の一期生ではない。
欅坂の二期生ではない。
けやき坂の一期生でもない。
そして、けやき坂は存在自体がなくなった。(しかも一部のメンバーに改名は夢だったと大喜びされながら)
もちろん、もはや日向坂とは全く関係がない。

長濱ねるは異世界から来た何かで、そのうち我々の記憶から消去されてしまいそうな怖さがある。

型に押し込められた欅坂から型にはまらないメンバーが卒業していく。

それでも欅坂は型にはまりたくないと歌う。